おもてなしの精神で
テニスの未来を開く

ノアインドアステージ株式会社

「テニススクール・ノア」を展開しているノアインドアステージ。大西雅之代表取締役社長は、長く日本のテニス人口の裾野を広げることに貢献し続けているが、大きな危機を乗り越えてきた経験を持つ。インドアテニススクールのリーディングカンパニーへと押し上げた「ノアイズム」とは……。

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働く人を大切にする「ノアイズム」を醸成

「テニススクール・ノア」は1980年、親会社の日東社の工場跡地からスタートし、現在では関西を中心に日本国内で30校を展開。2016年にはタイ・バンコクに初の海外校が誕生した。さらに、競技テニスに取り組む子供たちの育成に特化した「ノア・ジュニアテニスアカデミー」8校も展開、初心者からプロ志望まで幅広い生徒に対応している。

大西社長は1987年、日東社に入社、同年10月にノアの前身である「姫路テニスクラブ」の支配人となった。当時生徒数は約80人だったが、全国各地の成功しているインドアテニススクールを回ってノウハウを教わり、顧客である生徒へのサービス充実に努めた。屋外のみだったコートの一部を屋内コートに改装して、冬期に生徒が減少する現象を回避し、季節や天候の影響を受けにくくなったことで生徒数は安定して伸びていった。ハードだけでなくソフト面での改善も進め、生徒数は約300人まで増えた。

こうした経営努力でりスクールは順調に規模を拡大し、2002年には6校を展開するまでに成長したが、突然、幹部社員がコーチを引き連れて会社を去った。成長の影で人間関係の問題が社内に蔓延しており、テニススクールの仕事は好きでも、上司や職場の雰囲気が嫌いで辞めていく社員が多くいた。大西社長は 「当時は、10人入社したら、1年以内に8人くらい退職するような会社でしたが、正直私は辞める方が悪いと思っていたのです。会社は利益を伸ばしており、生徒からの評価も高い。私は自分のやり方には自信を持っていました。ですから高圧的な態度を取ることも多く、社内はピリピリしていました。そんな雰囲気が、上から下へと伝播してしまっていたのです」と明かす。

そうは言っても、あまりにも人が辞めすぎる。2004年にノアインドアステージの社長に就任した大西社長は、自らを顧みて、経営者として社員への愛情が欠けていたことを痛感した。従業員を大切にして離職率の低い会社を研究し、考え方や手法を素直に取り入れた。2007年には従業員満足度調査も行い、その結果を土台として、1年にわたり社内で議論を続け、会社の信条となる「ノアイズム」を策定した。 「『ノアイズム』を作り上げる過程で、私自身も大きく変わりました。従業員を大切にしたいという思いを持ち、それを自らの言葉で伝えることができるようになりました。それで働く人を大切にする組織風土が醸成されていきました。まさに『ノア維新』と呼ぶべき大変化でした」と振り返る。

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世界で活躍できるプレーヤー育成を

大きな挫折と変革を経た同社だが、顧客である生徒への姿勢は創業当時から一貫している。それは「おもてなし」の精神だ。それは、大西社長が自らコーチとして生徒を指導していた30年前から変わらない。「コーチとなる際、『我々は生徒に教えるのではなく、お客様に教えさせていただいているのだ』と教わりました。ですから、自然にスクール運営を指導業ではなくサービス業と捉えることができた。コーチは先生ではなく、サービスマンなのです」と言い切る。

当時は、「教えてやっている」という姿勢のスクールや指導者もまだまだ多く、ノアのおもてなし精神は評判を呼び、「他とは違う、楽しく親身なスクール」として多くの生徒が集まった。 2016年には海外進出も果たし、本格的にテニスに取り組む子供たちのための「ノア・ジュニアテニスアカデミー」もスタートした。少子高齢化が進む中でも、競技人口が増えているバドミントンのスクールを業界に先駆けて始めるなど、着実に事業展開を進めている。今後は首都圏や名古屋、関西などの大都市部でスクールを開設、今後10年で50校まで増やしていく予定だ。

2021年には、世界レベルで活躍できるテニスプレーヤー育成に特化した拠点として、千葉県白子町に「ノアテニスアカデミー千葉白子」を開校した。白子町は「温泉とテニスの町」として知られ、成田空港にも近く、世界を視野にテニスに打ち込むには絶好の環境だ。プロテニスの錦織圭選手や大坂なおみに続くスタープレーヤーを同校から生み出し、その姿に憧れてラケットを手にする人が増えることが、大きな夢の一つだという大西社長。 「テニスには大きな可能性があります。『テニスで人生が変わった』というたくさんの声が、私たちにとっての大きな喜びです。そんな人を、まだまだ増やしていきたい」と力を込めた。

ノアインドアステージ株式会社 代表取締役社長

大西雅之

1963年、兵庫県出身。1987年、兵庫県立神戸商科大学卒業後、日東社に入社。同年10月、姫路テニスクラブの支配人を兼務。1991年、日東社専務取締役。2004年、ノアインドアステージ代表取締役社長に就任。2009年、日東社代表取締役社長へ就任。公益社団法人日本テニス事業協会副会長。

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